2024年の今、この舞台に立つ彼を観られてよかった-『モンスター・コールズ』-

12時7分。

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佐藤勝利さん主演舞台『モンスター・コールズ』の記録。

 

久々の(そうでもない?)事前に席が分かるタイプのチケット。

勝利くん関連の舞台については本当にチケ運&席運がない私。『ブライトン・ビーチ回顧録』&『ハロルドとモード』は一般や譲りで探し、『Endless SHOCK』は1回目は良席だったものの2回目は後ろから数えた方が早い席……と、とにかく席運がなかった。「好きなアーティスト:佐藤勝利」にしてそれなりに経つのに。あんまりだ……。

そんな私に届いた『モンスター・コールズ』のチケット。なんとB列。B列…!?いや、喜ぶのはまだ早い。なんてったって私は横アリで「アリーナ」を引いて同行者をも巻き込んでぬか喜びし、横アリのアリーナはスタンドだと気づいて落胆した女。きっとB列とはいえ、前にS1~3列とかがあるんだ。そうなんだ…と座席表を調べる。

本当にB列(2列目)だ!?!?!?

しかもA列が潰れているブロックだから最前だ!?!?!?!?

さ、さいぜん…?あの席運なし名義が自担主演舞台で最前…?

喜びのあまりチケットが届いた日にスケートでずっこけて頭を強打し、生死の境をさまよったが、なんとか生き延びて観劇日を迎えられた。

そして、1回観劇したあと、当日引換券で2回目のチケットを手に入れ、2回観劇。2回の観劇を踏まえての記録です。

 

※以下、ネタバレを含みます。

 

 

【作品についての覚え書き】

1回目の感想は「難しい!!」

映画『怪物はささやく』を事前に観て行ったので、ある程度の流れやオチはわかっていたものの、難しかった。原作小説は読んでいないので原作との比較はできないが、映画に比べると、舞台は抽象化されている部分が多かったように感じる。また、映画と舞台だと登場人物も少し異なっていたし。「番犬」と呼ばれていたリリーや、いじめグループで唯一の女子サリーって映画にはいなかったよね?原作にはいるのかな。

抽象化といえば、まず入場してすぐに舞台セットの簡素さに驚いた。これであの大樹やモンスターなどを表現するのか…?!演者の表現力と観客の想像力が試されるセットだった。

しかし、舞台が進むにつれて、その不安はなくなっていく。とにかくロープの使い方がすごい。上から垂らされたロープを、カ-テンのように中央付近で縛ることで、イチイの大樹を表現している。大樹がロープでできていることで、大樹がコナーを飲み込んだり、縛って宙に浮かせることも再現できる。最初に「イチイの木をロープで表現しよう!」と考えた人、すごいな~。

また、ロープと並んで本作のセットの要とも言える椅子の使い方も面白かった。ただ座るための椅子として用いるのではなく、おばあちゃんの部屋の家具になったり、リリーがコナーを追いかける際の境界(距離)の表現にもなる。そして大勢で椅子の脚をゴトゴト鳴らすことで、音響としての役割も担う。しかしこの椅子は毎公演新調しているのだろうか…。だいぶ派手に破壊されるよね…。

そして演出の部分でもう1つ良かったことが照明。専門的なことや実際の照明の当て方はわからないが、大樹が舞台後方に影として映し出されるように光が当たっていることで、木が複数個並んでいるように見え、舞台に奥行きが生まれていたのが印象的だった。

 

~その他、演出やストーリーで気になった点について~

・冒頭、コナーの母が反時計回りに回りながら、生まれたてのコナーをあやし、だんだんと闘病する今の姿に変化していくシーン。母親が回っているのは時間の経過を表現しているのだろうか?それが正解だとしたら、時計回りではなく反時計回りなのは意味があるのだろうか?

12時7分とは母親が亡くなった時間なのか…と2回目の観劇でやっと気づくことができた。自分で時計を破壊したり、時間なんて関係なく来てほしいとモンスターに懇願してまで12時7分を懇願していたコナー。しかし、本当は12時7分とは彼にとって一番恐れていた時間なんだということが、なんとも皮肉で悲しい。

・母親の最期にコナーが病床で口にする「ここにいるよ」は、母親の問いかけへの答えであると同時に、そう口にすることで、自分自身の存在を再確認しているようにも感じられた。学校では文字通り「透明人間」として扱われ、おばあちゃんには生活で制限を強いられ、父親は自分を気にかけてくれつつもアメリカに持つ別の家族が優先。悪さをしても誰も罰を与えてくれない。誰にも向き合ってもらえず、母親のケアが中心のため自分中心の生活も思うように過ごせない。きっと自分自身の存在を不安視してたコナーにとって、「ここにいるよ」と口に出すことは、自分自身を肯定することに繋がったのだとうと考えられる。

 

佐藤勝利さんについての覚え書き】

ここまで真面目に批評ぶった感想を書いてきましたが、ここからはオタクゾーン。

とにかく、「勝利くんの舞台役者としての成長がすごい!!!」

これに尽きる。

かれこれここ4年ほど、彼の出演舞台は欠かさず観賞してきましたが、演技力・表現力だけで言えば今回がベストの作品だったように感じる……。

『モンスター・コールズ』は当初2020年に公演を行う予定だったが、コロナによって延期になったと聞いた。しかし、結果として、2024年の勝利くんがコナーを演じられたことは、良い巡り合わせだったかのようにすら感じられる。(もちろん2020年に公演できなかったことによる悔しさ、また延期したことで叶わなかったキャストスタッフその他諸々があるだろうことは重々承知しています。)

『ブライトン・ビーチ回顧録』と『ハロルドとモード』で培った少年らしさと、子どもと大人の間で知る新しい世界への好奇心や、揺れ動く心による危うさ。そして『Endless SHOCK(Etetnal)』によって培われた、狂気と大切な人を失う悲しみ。それらが今回の『モンスター・コールズ』におけるコナーという役柄に活かされていたのではないかな、と素人なりに感じた。毎度毎度素人が偉そうに、ホンマごめん。

具体的な表現で言うと、目の表現に目を奪われた。

デフォルトは佐藤勝利さん持ち前のあの水分量が多くてキュルキュルとした目で、それが少年としての純粋さにマッチしていた。10数列目から見てもキュルキュルしていた。しかし、モンスターの力を借りておばあちゃんの部屋を破壊したり、同級生に殴りかかるシーンではその目が一変。ぱっちりとした大きな目は釣り上がり、光も消える。また、母親の死とそれに対する自分の本音を吐くことにに恐れるシーンでは、悲しさや恐怖心を帯びたデフォルト状態とは別のキュルキュル具合になり、思わずその目に引き込まれた。

勝利くんって憂いや悲しみ、静かな怒りを伴った表現が上手いなと前々から思っていたけど、それは目を印象的に扱うことができるからかもしれない。「死に際系」が多いのも、そういった儚くて危うさもある表現が似合うからなのかもしれないな……なんて。今後もそういう役柄、待ってます。

 

~せっかくなので最前列で勝利くんを見た感想も少し~

とにかく輝いていた。メイクをしているだろうとわかってはいても肌がめちゃくちゃキレイで、「やっぱTIRTIR使ってるんかな…」と余計なことを考えたりもした。爪まで光り輝いていた。爪、磨いていますか?

そして細身なのに意外と(すみません)背中や腕がしっかりしていて「男の人…!」とキモオタになりかけた。え、もう既にキモオタって?それは言わない約束で。手の筋とかゴツすぎずヒョロすぎずで、手フェチの人が見たら泡吹いてたと思う。

とにかく勝利くんって「イケメン」では収まらないからもう「奇跡」とかにした方がいい。国宝級奇跡。本気で言ってる。「イケメン」に収まるレベルじゃない。よく芸能人に「テレビで見るよりかっこいい(かわいい)!」と言いますが、勝利くんは本当にメディアで見る美しさそのままでそこにいる。常に120%。だから何回現場に行っても、いくら近い距離で見ても、実在の実感が湧かない。

 

あと、2回目の観劇時のカーテンコール。カテコは合計3回あったのですが、最後のカテコで勝利くんだけが舞台上手に立ち止まって客席の方を見て。てっきり手を振ったりファンサービス的なことをするのかな~と思っていたら、90度の深いお辞儀をして。

ああもう佐藤勝利さんのそういうところが大好きなんですよ!!!!!!!!!!!!(涙)

その深いお辞儀に座長としての頼もしさと役者としての成長、そして勝利くんの誠実で真面目な一面が感じられて、今年も無事デカ感情を抱いて帰路につく羽目になりました。勝利くんのかっこよさって決してルックスだけじゃないんだよ~~~みんな気づいて~~~~~~知って~~~~~~~まあ、分かる人にだけ分かればいいんですけども…………(めんどくさいオタク発動)

 

 

そんなこんなで今回も非常に楽しく有意義な観劇になった。毎回毎回面白い舞台に出会わせてくれる勝利くんには感謝でしかない。肉体的にも精神的にも負担の大きい作品だとは思うが、どうかカンパニーの皆さまが全員健康に何事もなく大千秋楽を迎えられますように。

そして明日はSHOCKの当落日。私は『Endless SHOCK』が、ショウリが本当に本当に大好きなので絶対にチケットを手にしなければならない。頼むよ自名義。